シタウケーズ(?)の思い出~友、遠方より来たる、また楽しからずや~

大学時代の友人が自宅を訪ねてくれた。

しかも4人で男声グループを結成していた一員で、

当時行ったリサイタルを録音したものを完璧な音源に復活、CD化し携えて下さった。

 

名づけて「シタウケーズさよならリサイタル」

 

出身地の愛媛県松山市の松山市民会館の小ホールを借り切って行ったイベントである。

もちろん立ち席が出る程の大盛況だった。

 

シタウケーズとは、松山市民合唱団のメンバーだった4人で結成した男声グループで、

その合唱団の「下請け」だから、もじってシタウケーズとした。

こんなふざけたネーミングの生みの親はもちろん私。

ちなみに友情出演してくれた3人の女声グループ、プラスピアニストのユニットは、スリーポテト。

こんなコミカルな名前を思いつくには、これも私に違いない。

今でもクレージーキャッツやトリフターズのようなコミカルバンドを、

機会があったら結成したいと思っているくらい、頭の中はお笑いで占められている。

 

シタウケーズと名前は安っぽいが、CDを今聞き直してもレベルはかなり高い。

なぜならその当時、松山市民合唱団のレベルはとても高く、

全日本合唱コンクールで、全国優勝とまでは行けなかったが

銅賞レベルまで行ったくらい歌上手が集まっていた。

その中でも選りすぐりのメンバーである。

 

その当時デュークエイセス、ダークダックス、ボニージャックスと

男声グループが花盛りであったが、彼らのハーモニーに勝るとも劣らないレベルである。

このリサイタルの第1幕は、大ヒットしたデュークエイセスの「日本の歌シリーズ」。

いきなり冒頭から北海道の「ボーイズビーアンビシャス」という元気な曲のハーモニーは

倍音が効いていて

「決まっている!!」

というほど気持ちのいいものだ。

機会あらば、是非聞いていただきたい。

 

何しろ司会は、地方有力局である南海放送の看板女子アナの方が

喜んで引き受けて下さったリサイタルである。

その南海放送の朝のサンデーモーニング8という番組に、

何度か出演させてもらっており、放送局お墨付きのレベルの高さである。

 

さらに自画自賛をさせていただくと、親会社(?)である松山市民合唱団の定期演奏会で、

わがシタウケーズも下請けの子会社(?)と言うことで1ステージを担当したことがある。

その時に、愛媛県出身で、東京で大活躍しており時々テレビにも出ていた

有名なテナー歌手が、このステージに特別共演者として招かれていた。

 

その方が、私たちのパフォーマンスをステージの陰で聞いて下さり、

演奏が終わったらさっそくかけよって来て、天にも昇るようなコメントをいただいた。

「君たちは、上京してデビューすると絶対通用するよ」と。

このくらいのレベルと想像していただきたい。

 

「それにしても、あの時デビューしておけばよかった・・・」。

 

今、そのCDを何回も何回も聞き、しばしタイムスリップしている。

そしてメンバーの歌声に聞き惚れている。

そして私の歌唱力の幼稚さに愕然としている。

 

トップテナー、リードテナー、バリトン、バスとあり、

私は最も低いバスを担当している。重低音を出して皆を支えている時は、

とてもいい感じだが、一たびソロが回って来ると、

他のメンバーの歌唱力に比べて何と色気のないことか。

それくらい私は人生経験もなく、おくてで純情だったのである。

今でこそ女性に囲まれた仕事をしているが、

その当時は女性に声をかけることもできない初な私であった。

 

ステージは3部構成で、

第1部が「日本の歌シリーズ」

第2部が「ほかの国の歌シリーズ」、

その当時フォーク界で流行っていたブラザースフォーの歌が中心だ。

合間にメンバーのオリジナル曲もありこれがまたいけている。

デビューを目指していたら、いい楽曲がいくつも世に誕生したに違いない。

続くスリーポテトの友情出演。

 

そして第3部が組曲「山に祈る」である。

上智大学生が山で遭難し若くして命を落としてしまったその大学生の手記と、

そのお母さんの日記に基づいた実話を、清水脩という名作曲家が作曲したものである。

氏の代表作である。多くの男声合唱団やグリークラブで定番となっており、

ダークダックスもよく取り上げていた。

 

まさにこのダークダックスにも引けを取らないシタウケーズ版である。

南海放送の看板アナウンサーの朗読と相まって、

会場が感極まってあちらこちらからすすり泣きが聞こえる。

 

そして最後の曲は、ダークダックスの十八番「シャローム」で幕を閉じた。

私の大切な、大切な思い出の一つであった。

[わくわく成功講座 No.270]